学習する際の心構え

私は今まで、24年間生きてきて、18年間は学校(学ぶ側)もしくは学習塾(指導する側)という環境に身を置いていた。
曲がりなりにも18年間は学習する、という行為については考えていた。

その学習という行為に対して考えたことを学習する際の注意点としてまとめる。
その他、加筆・修正等があれば随時追加する。


*なぜ勉強・学習するのかを考える

勉強・学習という言葉を私はわざわざ区別して使っている。
勉強はどちらかと言えば無理をして勉学を修める、というニュアンスを含み、学習は真似をして、自分に必要な知見を得るような行為であるという区別である。

学校での行為は勉強でもあるし、学習でもあるだろう、というのが私の立ち位置である。優劣を比べる目的は一切ない。

なぜ、それを学習・勉強するのかという点については考えておく必要があると考える。
なぜならば、人は何らかの目的意識を持って勉強/学習しなければ続かないためである。
そのことを意識して通学するだけでも学習活動は大きく変わることになると考える。

私は学習・勉強には大きく分けて2つのステップがあると考えている。
1つ目が知識の吸収、2つ目が応用して課題を解く、というステップである。
基本的な目標は2つ目に設定されているだろう。受験に勝ち、高校または大学に入学する、資格を取る、動く何かを作る等が学習/勉強の最終目的であることが考えられるからだ。

しかし、小中学校、高校での授業等では知識の吸収に終始する場合が多いと考える(当然入試対策として問題を解く場合もあるだろうが)
例えば、実際に公式、漢字、年号等を覚え、テストを行い、成績がつけられて評価される。これを短い区切りで繰り返すのが学校、というイメージである。
したがって、なぜ自分が学習/勉強するのかを考えなくても評価されるのでなんとなく勉強していた、している人は多いのではないだろうか。

しかし、小中高の時点で目的を意識しながら勉強する、ということは非常に難しい。
したがって、成績をあげたいから勉強する、という姿勢を私は十分評価できると考えている。
成績をあげることで難関校と呼ばれる学校に進学でき、もしくは学内での評価が上がることで推薦をもらうことができ、どちらにせよ選択肢の幅が広がるからだ。
選ぶ際に迷うという贅沢は非常に甘露である。
成績が低いものには選択する自由すら無い場合があるのだ。

普段から目標を少しずつ立て、計画的に勉強している生徒のほうが(個人的経験として)伸びやすい。
当然目標が適正かどうか、計画が正しいかどうかを指導する必要がある
教わる側としてはその目標を立てる訓練、計画を実行する力を養成している、という意識でもって学習・勉強に励むべきであり、
教える側としてはそのような点をチェックして、目標と現実の乖離を小さくしていくことが必要であると私は考えている。(非常に負担は大きくなる)


*複数の解法と結果主義
次のような問題があったとする。
「たかし君は1個120円のりんごと1個80円のみかんを合わせて10個買ったところ、代金は1080円でした。りんごをいくつ買いましたか」
この問題については少なくとも小中学校で、3つの解法が存在する。

つるかめ算・一次方程式・二元一次連立方程式である。
どれを使っても答えは同じものが出る。詳しい解法は放っておく。

答えさえ出せば良いのであれば、どれを使っても答えが合ってさえいれば正解である。この3つの解法に優劣は無い。

しかし、結果が何より大事であるわけではない。
間違った方程式を立てていれば、結果は正解となっていても、間違いとされるべきである。

基本的に学習する際には、(最終目標がある以上)求める過程が要求される。
結果主義に陥らないように注意すべきである。
公式丸暗記で使えるだけでも成績をあげる場合には構わないが、それだけでは上手くいかない場合がある、ということである。

したがって、学習・勉強をする場合には、どうしてその方法を使い、結果としてそうるのか、を常に考えるべきである。
(これは例えば方程式が手順的に解けるようになってからでも構わない。手順として解けるようになって以降の訓練である)

「結果は合っていることを確認してからどういう過程で導いたの
というのが学習の肝である。

例えば、ひし形の面積の公式は「対角線の長さ×対角線の長さ÷2」である。
ひし形の面積が計算できるようになったら、どうしてそのような公式になっているのか、を考える時間を取る癖をつけておいたほうが長い人生で学習していく上で良く伸びるだろう。

*世の中の怨嗟の声を聞き流す
「勉強しても面白くない、勉強なんて役に立たないいう声は世の中に満ち溢れている。
「あまつさえ、勉強ができても人間としてダメだ(→だから勉強なんかより別のことをしたほうがいい)」
などといったとんでもないことを口にする人さえいる。

少なくとも、そんなことはない。

勉強が出来ないものからの僻みは聞き流すべきだ。選択の幅が広くなるだけでも十分メリットである。
とはいえ、それを一つずつ論破していくと友人がいなくなる。そのような友人は要らない、と考えるなら別だが、そのような声は聞き流そう。

*自己肯定と反省する
教わる側ならば、教わっている人からの評価が得られるだろう。(たとえそれが意にそぐわないものだとしても)
その評価を参考にしつつ、積極的に自己肯定いくべきである。
教える側ならば、自己肯定が出来るように評価をするべきである。

10点の小テストで9点を取った人は、落とした1点に目をやりがちだが、9点は取っているのである。
7点から9点に上がったのであれば2点分も解けるようになっているのである。
そのことを意識したあとに1点に目をやれば良い。(1点を無視する意図はない

一人で勉強しなければならないときには、そのような考えを持っていたほうが経験上良い。
資格試験等であれば尚更である。
出来るようになった自分を肯定する。その後、まだ出来ない部分を見つけて目標・計画を修正する、というサイクルを取るべきである。



とめ
以上、長く書いたが、簡単に私の学習する際の心構えまとめる。

なぜ学習するのかを見失わないように確認をする
*結果は大事だが、それに固執せず、過程を汲んでどうしてそうなるのか、論理的に考える
学習がある程度進んだ段階で自分で評価・反省を行う

学習・勉強はトライ&エラーである。
新しいことを知ることは基本的に楽しいことである、という意識を持ってこれからも学習していきたい。
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